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堺市(さかいし)は、近畿地方の中部、大阪府の中南部に位置する市である。 大阪府では人口・面積が第2の都市である。200641日に、日本で15番目、近畿地方では4番目、大阪府でも大阪市に次いで2番目の政令指定都市に移行した。昼間人口より夜間人口のほうが多いために、大阪市のベッドタウンと位置づけられている。

地理

大阪府中央部を流れる大和川を挟んで大阪市の南側に位置し、北東は松原市、東は羽曳野市、富田林市、南東は大阪狭山市、河内長野市、南西は和泉市、西は高石市に接している。 

地域の概要

市の西部は平坦で、古くからの工業地や商業地が多く市街化が進んでいる。大阪湾に面する北西部は新日本製鐵堺製鐵所を始めとする「堺泉北臨海工業地帯」と呼ばれる工業地域である。

 浜寺と諏訪ノ森は屋敷や別荘が建ち並ぶ高級住宅地であり海浜リゾート地であった。今は浜寺沖の埋め立てと重工業コンビナートの形成により、この地域の高級感は少し衰えをみせる。

 中央部は大阪市の上町台地から続く高台(三国ヶ丘台地)で、上野芝にはその地形を生かして戦前、阪和電鉄により「向ヶ丘」「霞ヶ丘」の住宅地が開発された。また、戦後は新金岡や中百舌鳥などに大規模団地が建設され、1970年代には北東部の市街化も進んだ。

 南東部の初芝と大美野は戦前に住宅地として開発されたが、周辺は緩やかな台地と田園地帯で農地も多く残る。南部は丘陵地となっており、泉北ニュータウンが広がっている。

 市名の由来

「堺」の地名は旧摂津国と旧和泉国と旧河内国の3国の「境(さかい)」に発展した町であることから付いたといわれる。江戸時代には「左海」とも表記された(宿院交差点にある石灯籠には「左海たばこ庖丁鍛治」と書かれてある)。堺市の大半は旧和泉国だが、現市域に旧摂津国や旧河内国も含んでいるため、泉州地域と区別され、「堺・泉州」や「堺・泉北」のように分けて表記されることが多い。 

歴史

概要

石器時代

現在の堺市域に人が定住したのは古く旧石器時代とされる。市内各地の遺跡からは旧石器時代の打製石器や縄文時代の土器・石器、弥生時代の銅鐸・土器などが発掘されている。また、浜寺の四ツ池遺跡は池上・曽根遺跡(和泉市・泉大津市)と並ぶ弥生時代の集落遺跡で、堺市域では最大規模を誇る(浜寺中学校造成と第二阪和国道敷設工事のため遺跡としての形はとどめていない)。1989年には国の史跡に指定された。このほか、石津川流域の下田町や鶴田町でも、竪穴住居跡を中心とする集落や土器・金属器などが出土している。

古墳時代(大和王権の重要地)

古墳時代には、泉北丘陵を中心に須恵器の生産が行われた。生産は奈良時代を経て平安時代まで続いた。泉北ニュータウン周辺や信太山丘陵にかけて須恵器の釜跡などの遺跡が点在しており、「陶器」「釜室」などの地名が現在も残る。ヤマト王権成立後は大仙陵古墳など大小100数基の百舌鳥古墳群が造られた。

神功皇后が三韓征伐からの帰途、七道の浜に寄り、地元の豪族の田蓑宿禰に津守氏の姓を与え、住吉三神を祀るように告げたという(住吉大社の起源)。 

飛鳥時代(難波大道と交通網)

飛鳥時代になると、難波宮・難波京や難波津から四天王寺を経て上町台地を南北に貫く難波大道と、飛鳥の都と方違神社を東西に結ぶ丹比道(竹内街道の前身)、大津道(長尾街道の前身)が整備される。奈良時代から室町時代にかけて、これらの街道沿いの大保(丹南)や金岡・日置荘周辺には河内鋳物師と呼ばれる人たちが多く住んでおり、東大寺再興や鎌倉大仏の鋳造などで活躍した。

 平安時代・鎌倉時代(堺北荘と堺南荘)

平安時代には熊野詣の宿として境王子と大鳥居王子が設置された。鎌倉時代には京都、奈良など後背都市の産業を背景に南北の堺荘が成立。堺北荘は摂津国に、堺南荘は和泉国に属した。

 南北朝・室町時代(南朝と勘合貿易、堺公方)

南北朝時代には、南朝(吉野朝廷)方の住吉大社宮司の津守氏に関係して南朝の外港的役割を担うようになり、廻船が発着する港へと発展した。地下請の特権を得て、室町時代には足利将軍家や三管領の細川氏などが行った日明貿易(勘合貿易)の拠点となる。戦国時代には明やルソン・カンボジアなど東南アジア方面での貿易で栄えた。こうした経済的繁栄は内外から注目を集めるようになり、戦国時代初期の室町幕府の内紛の際には「堺公方」と呼ばれる一種の臨時政権が立てられた事がある。

 戦国時代(東洋のベニス)

布教のため来日していたイエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラは、その著書『耶蘇会士日本通信』のなかで、「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と書いた。この文章によって、堺の様子は『東洋のベニス』として、当時の世界地図に掲載されるほどヨーロッパ世界に認識されることとなる。ヴィレラの後継宣教師であるルイス・フロイスもまた、その著書『日本史』のなかで堺を「東洋のベニス」と記している。

 安土桃山時代(自治都市)

安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとし、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成する。会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い、摂津国住吉郡の平野と共に中世の自治都市となるが、織田信長、豊臣秀吉らの前に屈服。都市機能が解体され、彼らの支配下(直轄地)に置かれる。その後、秀吉が大坂城を築き、城下町が開発されるに伴い堺商人の多くが大坂へ強制移住させられた。このため、堺の都市機能は著しく低下した。同様に全国各地の城下町にも堺商人が移り住むようになる。また、この頃から鉄砲生産も盛んに行われるようになった。

 江戸時代(近世都市の源)

江戸時代には堺奉行が置かれ、糸割符など保護を受けるが、鎖国の成立とともに経済の中心は大坂へ移り、管轄も大坂町奉行が兼任する。1704年には大和川の付け替え工事が行われ、陸続きであった堺と住吉が分断された。しかも、この開削により河口付近に多量の土砂がたまったため、堺港に大きな船が停泊できなくなった。これにより、港湾機能も縮小せざるを得なくなった。

 しかし、中世の自由都市堺と、江戸初期の堺の財力は莫大なものがあり、それが後世の日本に与えた影響もまた然りである。中世の日本において一貫して大都市といえるのは京都だけであり、当時陸運の便利がよい京都に商人が集中していた。一方で堺は積極的に海運のため、全国の主に海岸の中小都市に莫大な投資を行った。その当時既に繁栄していた博多、鹿児島、大分などはともかく、それ以外の全国の多くの都市について、その発展の基礎部分に中世の堺商人の投資が大きな影響を与えているともいえ、それは大阪、名古屋、東京なども例外ではない。

 江戸時代後期からそれ以降(工業都市)

江戸時代でも後期に入ると、醸造業などが栄えた影響で再度活気を取り戻すようになる。堺商人は次第に建物に贅を凝らすようになり、「京の着倒れ・大坂の杭(食い)倒れ」とともに「堺の建て倒れ」と呼ばれるほど、町には立派な屋敷が立ち並んだ。

 幕末になり、欧米列強が大坂の開港を要求すると、大坂が京都に近いことを理由に堺がその代港候補に挙がる。だが幕府内の勤皇派は、堺周辺には古墳が多いため、堺を開港地にすると外国人が無断で古墳に出入りする可能性があると指摘。そのため、第二候補であった兵庫(神戸)が開港地に選ばれた。この結果、堺は中世以来の国際貿易港への復帰の道を閉ざされ、その座を神戸に明け渡すことになった。更に明治になってから堺県が設置されたものの、隣県・堺の繁栄を恐れる大阪府の要求により強引に同府に合併されたと言われている。大阪府合併以降は、紡績や煉瓦産業を中心に次第に工業都市へと変貌を遂げていき、阪神工業地帯の一角を占める経済的地盤を作り上げていく。 

なお、堺市の町名には「○丁目」の「目」がつかない。1872年の町名改正で、改正前までは独立していた小さな町を「○○東一丁」や「○○西一丁」などに変更し、「丁」に「町」と同格の意味合いを持たせたことに由来する。以後、周辺の町村を合併し市域に編入したが、町を細分する場合も前例に倣い「丁目」を使わず、美原区を除く市内全域が「丁」で統一されている。

 年表

5世紀 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)が造られる。

5世紀 ヤマト王権が茅淳県・大鳥県を設置する。

613 竹内街道が開通。

704 行基が生家を家原寺とする。

713 河内国から摂津国が分離する。

757 河内国の大鳥郡・和泉郡・日根郡が独立、和泉国ができる。

934 紀貫之の『土佐日記』に「いしづ(石津)」の表記がみられる。

1054 藤原定頼の歌集に「さか井」の名が現れる。

1231 小谷城が築城される。

1336 堺北荘が住吉神社(現・住吉大社)領となる。

1337 大魚夜市が始まる。

1338 北畠顕家が足利軍と戦い石津で戦死。

1399 応永の乱で幕府軍が堺城を攻め大内義弘が戦死。

1476 1回遣明船が堺港から出発する。

1502 金魚が明から堺へ輸入される。

1543 堺で鉄砲生産が始まる。

1550 フランシスコ・ザビエルが堺を訪れる。

1568 織田信長が軍用金2万貫を課す。会合衆は拒否するが攻撃され屈服。

1570 織田信長が松井友閑を堺政所に任命(堺奉行の前身)。

1586 石田三成が堺政所になる。

1588 豊臣秀吉が南北の堀を埋めさせる。

1591 豊臣秀吉により堺へ追放された千利休が自害。

1596 慶長の大地震で600人以上が死亡。

1604 堺商人が糸割符年寄に任ぜられ、朱印船貿易が許される。

1615 大坂夏の陣で堺の町が壊滅する。

1615 元和の町割りにより、堺の町が碁盤の目に区画整理される。

1615 江戸幕府の直轄地となり堺奉行が置かれる。

1684 堺最初の地誌『堺鑑』が刊行される。

1696 堺奉行が廃止され、大坂町奉行の管轄になる。

1702 堺奉行が再び置かれる。

1704 大和川が付け替えられる。

1854 安政の大地震で堺港が打撃を受ける。

1863 天誅組が堺港に上陸する。

1867 堺奉行が廃止され、大坂町奉行が堺を管轄。

1868 堺事件が起きる。

1868 堺県を設置する。

1870 鹿児島藩が日本の近代紡績工場第1号となる戎島紡績所を開設。

1870 工部省が鉄道寮堺煉瓦製造所を設立(日本で最初の煉瓦工場)。

1873 日本初の公園となる浜寺公園が開園。

1875 堺県が奈良県を併合する。

1876 南宗寺境内で堺博覧会を開く。

1877 明治天皇が堺に行幸し、熊野小学校などを視察する。

1877 大浜灯台が完成。

1881 堺県が大阪府に併合される。

1888 阪堺鉄道(南海電気鉄道の前身)の難波~堺間開通。

1888 大阪農学校(大阪府立大学の前身)が開校。

188941 市制施行により堺市となる(最初に施行した31市に名を連ねた)。

1892 旧堺奉行所跡に堺市役所ができる。

1895 幕末に築かれた台場跡が大浜公園として整備される。

1895 堺市章を制定。

1897 南海鉄道(阪堺鉄道と翌年に合同)の堺~佐野間開通。

1898 高野鉄道(現南海高野線)の大小路(現堺東)~狭山間開通。

1900 高野鉄道の道頓堀(現汐見橋)~大小路間開通。

1903 大浜公園が第5回内国勧業博覧会の第2会場となる(第1会場は天王寺公園)。

1903 大浜公園内に堺水族館が開館。

1905 浜寺にロシア兵俘虜収容施設ができる。

1906 浜寺海水浴場が開場する。

1907 南海鉄道の浜寺駅(当時)駅舎が完成(後に東京駅を設計した辰野金吾博士による)。

1910 天王貯水池と浅香山浄水場が造られ、上水道が整備される(全国で18番目、大阪府では大阪市に次いで2番目)。

1911 阪堺電気軌道の恵美須町~市ノ町(現大小路)間開通。

1912 阪堺電気軌道の市ノ町~浜寺間と大浜支線宿院~大浜海岸間開通。

1913 大浜公会堂内に大浜潮湯が開業。

1916 堺市立図書館(旧館)が開館。

1920 大阪市の扇町にあった堀川監獄(現在の扇町公園)が堺市に移転、大阪刑務所となる。

1920 泉北郡向井町・湊町を編入。

1920 1回国勢調査(堺市の人口は84995人)。

1922 堺(大浜海岸)~徳島(小松島市横須海岸)間に日本初の民間定期航空便が就航。

1923 堺市公民病院(現在の市立堺病院)が開院。

1925 泉北郡舳松村を編入。

1926 泉北郡三宝村を編入。

1927 阪堺大橋が完成する(大和川に橋が架かったのは大和橋以来220年ぶり)。

1929 阪和電鉄(現JR阪和線)の天王寺~和泉府中間開通。

1930 遠里小野橋が架設される。

1931 全国初の市史となる『堺市史』が完成。

1931 阪堺電鉄の芦原橋~浜寺間開通。

1932 陸軍の騎兵隊・輜重隊兵舎(現在の長尾中学校)、陸軍病院(現在の大阪警察学校)、練兵場(現在の金岡公園)が大阪市の真田山から金岡村(当時)へ移転。以後、通称金岡連隊基地として大阪南部の軍事拠点となる。

1932 昭和天皇が堺に行幸し、堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)を視察する(「三国ヶ丘御幸通」の地名はこの行幸に由来)。

1932 大美野田園都市が町開き。

1936 南海鉄道が創業50周年事業として中百舌鳥総合運動公園を開設。

1937 大和川大橋が架設される。

1938 泉北郡神石村・五箇荘村・百舌鳥村・南河内郡金岡村を編入。

1938 光明池(人工の灌漑貯水池)が完成。

1939 室戸台風が堺市を直撃。300人超の死者が出る。

1939 大阪帝国大学(当時)産業科学研究所が浅香山に設立される。

1942 泉北郡浜寺町・鳳町・踞尾村・八田荘村・深井村・東百舌鳥村を編入。

1944 阪堺電鉄が大阪市に買収され、大阪市電三宝線になる。

1944 堺市役所が堺東に移転する。

1945 近鉄大浜線(当時)宿院~大浜海岸間休止(正式に廃止となったのは1980年)。

1945710 堺大空襲。死者1800人を超える。堺駅周辺の龍神地区や宿院、大浜公園などに大きな被害が出る。

1947 浜寺公園と金岡連隊基地跡がアメリカ軍に接収される(それぞれ浜寺キャンプ、金岡キャンプとなる)。

1948 堺(鉢ヶ峯)公園墓地ができる。

1950 ジェーン台風が堺市を直撃。

1955 市民運動によって、いたすけ古墳の保存が決まる。

1956 日本初の住宅公団による団地、金岡団地の入居開始。

1956 浅香山浄水場のツツジの一般公開(通り抜け)が始まる。

1957 南河内郡北八下村を編入。

1958 南河内郡南八下村・日置荘町を編入。

1958 浜寺公園と金岡連隊基地跡がアメリカ軍から返還。金岡連隊基地跡は金岡公園として整備される。

1958 堺泉北臨海工業地帯の造成開始。

1959 泉北郡泉ヶ丘町を編入。

1960 向ヶ丘団地の入居開始。最寄り駅として津久野駅が設置される。

1961 八幡製鐵(後の新日本製鐵)堺製鐵所が設立。臨海部の工業化が開始される。

1961 第二室戸台風が堺市を直撃。

1961 泉北郡福泉町を編入。

1961 南海電鉄が「浜寺ヘルスセンター」開設。

1961 与謝野晶子の歌碑が生家跡にできる。

1962 浜寺海水浴場が閉鎖される(堺市内の海水浴場がなくなる)。

1962 南河内郡登美丘町を編入。

1963 堺市民憲章を制定。

1963 浜寺公園プールが完成。

1964 天王貯水池が閉鎖。

1965 堺市民会館が開館。

1965 戦災復興事業が終わる。

1966 泉北ニュータウン着工。

1966 金岡ニュータウン(新金岡団地)が町開き。

1966 土居川の埋め立てが始まる。

1967 バークリー市と初の姉妹都市提携。

1967 八田荘団地が完成する。

1968 大阪市電三宝線が廃止。市営バスに転換される。

1968 大浜灯台が廃止。

1968 大阪大学産業科学研究所が茨木市に移転(跡地は住宅公団に売却され浅香山団地に)。

1969 堺港と泉北港が統合され、堺泉北港になる。

1970 阪神高速道路堺線が開通。

1971 泉北高速鉄道の中百舌鳥~泉ヶ丘間開通。

1971 堺市立図書館(現中央図書館)が大仙公園に移転。

1971 大仙公園に平和塔が完成。

1971 国立泉北病院が開院(現近畿大学医学部堺病院)。

1972 大泉緑地が開園。

1972 泉北ニュータウンに「青少年の町(ヤングタウン)」ができる。

1973 泉北高速鉄道の泉ヶ丘~栂・美木多間開通。

1974 堺まつりが始まる。

1975 吾彦大橋が架設される。

1975 堺市民オリンピックが始まる。

1976 第二阪和国道の堺~高石間開通。

1976 大阪女子大学が大阪市の帝塚山から移転(現在は大阪府立大学と統合)。

1977 泉北高速鉄道の栂・美木多~光明池間開通。

1979 市制90周年。

1980 堺市博物館が開館。

1981 大阪府立障害者交流促進センター(ファインプラザ大阪)開設。

1982 阪神高速道路湾岸線の南港北~三宝間開通。

1982 台風10号が堺市を直撃。大和川が氾濫し、大きな被害が出る。

1983 全国初の政治倫理条例を制定。

1983 連雲港市と友好都市提携。

1985 南海本線の大和川~石津川間高架化。

1986 37回全国植樹祭が大仙公園で開催。

1986 陶器山トンネルが開通。泉北ニュータウンと狭山ニュータウンが繋がる。

1987 地下鉄御堂筋線が中百舌鳥まで延伸。

1987 阪神高速道路湾岸線の三宝~出島間開通。

1987 南大阪地域地場産業振興センター(じばしん南大阪)開設。

1989 市制百周年記念「オランダフェスティバル・ダッハらんど」開催。

1989 阪和自動車道の松原JCT~美原北IC間開通。

1991 阪和自動車道の美原北IC~堺IC間開通。

1991 堺泉北有料道路の供用開始。

1993 阪和自動車道の堺IC~岸和田和泉IC間開通。

1993 阪神高速道路湾岸線の出島~助松間開通。

1994 ウェリントン市と姉妹都市提携。

1995 さかいハートフルランドが始まる。

1996 中核市へ移行。

1996 堺市の小学校33校で病原性大腸菌O157による集団食中毒が発生。

1996 市立堺病院が移転、新装開院。

1998 南海本線の浜寺公園駅と諏訪ノ森駅が、国の登録有形文化財に登録される。

1999 23回全国育樹祭が大仙公園と蜻蛉池公園(岸和田市)で開催。

1999 大型児童館「ビッグバン」開館。

2000 「世界民族芸能祭」が堺旧港と大仙公園で開催。

2000 龍女神像(乙姫像)が堺旧港波止に復元。

2001 国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)開設。

2001 「ヤングタウン」が閉鎖。

2004 南阪奈道路の供用開始。

2004 さかい新事業創造センター開設。

200521 南河内郡美原町を編入。

200641 政令指定都市移行、区制施行。

20061010日ご当地ナンバーに堺誕生 

「堺町」のある都市

堺商人が全国で活躍した証しとして、旧城下町から発展した都市には「堺町」もしくは「栄町」という地名が今も残っている。

 

「堺町」もしくは「堺丁」がある都市 - 岸和田市、大和郡山市、和歌山市、姫路市、津山市、倉吉市、広島市、高知市、北九州市(旧小倉市)

「栄町」もしくは「栄」がある都市 - 会津若松市、甲府市、金沢市、福井市、静岡市、浜松市、名古屋市、岐阜市、彦根市、岡山市、浜田市、徳島市、久留米市、佐世保市

「堺筋」がある都市 - 大阪市、富田林市

備考

旧東京市にも日本橋堺町、京橋栄町、神田栄町があったが、町名変更により消滅した。

京都市にある堺町通は、「町の境」を意味するという説が有力である。

酒田市は江戸時代、「東の堺」と呼ばれ、堺を模して町が作られた。町は三十六人衆という自治組織により運営されていたが、これも堺の会合衆の影響といわれる。

橿原市の今井町は江戸時代、「陸の堺」と呼ばれ、商業都市として栄えた。堺同様、町を囲うように環濠が掘られている。